下田街道 三日目の街道歩き旅 [湯ヶ島~韮山編]
湯ヶ島温泉周辺まで
浄蓮の滝駐車場
「踊子歩道」のゴール、浄蓮の滝駐車場(左奥)は目の前である。
浄蓮の滝 入口
浄蓮の滝の入口(駐車場)には、またまた例のカップルが仲良く並んでいる。
バスツアーの団体客がかなり多い。
浄蓮の滝
「天城越え」の歌碑がある(写真右)。九十九[つづら]折り、浄蓮の滝、舞い上がり揺れ堕ちる肩の向こうにあなた 山が燃える・・・。日本人の心を揺さぶる名曲だ。大リーグのイチローがお気に入りなのもうなずける。
湯ヶ島温泉
ここ湯ヶ島温泉には、いくつかの「湯道[ゆみち]」がある。
遠い昔、里人が共同湯に通う道を、このように美しく名づけたという。今は散策道として整備されている。
湯本館
この先、狩野川沿いに下っていくと(写真右奥)川端康成の常宿だった「湯本館」にいたる。川端は、ここでよく執筆し、「伊豆の踊子」など数々の名作が生まれた。
出合橋・男橋
狩野川の起点に架かる「出合橋」(これは男橋の方)。夏の夜はホタルが乱舞するとか。
6月にホタル祭りがある。
ハート型モニュメント
男橋と女橋の中間地帯には、このようなハート型モニュメントが建つ。
夜間はライトアップされファンタジックムードが漂うらしい。
女橋
ロマンティックな出合をお望みならば女性はこちらの女橋からどうぞ。
マンホール
湯道の路面にも注目。
なんとマンホールのふたにも踊子と学生の姿がありました。
弘道寺
江戸に向かうハリスが宿泊(2泊目)した湯ヶ島の弘道寺。彼が使用した椅子が残っている。
湯ヶ島小学校
門前にはハリス著「日本滞在記」の一部が紹介されている。この近くにある湯ヶ島小学校は井上靖の母校である。自伝小説「しろばんば」は湯ヶ島が舞台になっている。
湯ヶ島~修禅寺周辺まで
修禅寺~田京駅周辺まで
修禅寺
この修禅寺は弘法大師が開基(807)した古刹で地名の由来となる。また源氏一族の悲劇の舞台にもなった。
独鈷の湯
「とっこ(独鈷。仏具の一種)の湯」は伊豆最古の温泉である。2004年の台風であずま屋が流されたが、その後再建された。
竹林の小径
「とっこの湯」のすぐ近くにある竹林の小径。おあつらえむきの散策道である。
桂橋
前方の朱色の橋は、桂川にかかる桂橋。情緒たっぷりの、おくゆかしい小径である。
ハリストス正教会
修禅寺にあるロシア正教のハリストス正教会(1912建)。ハリストスはロシア語でキリストの意。なお、総本山は東京神田にあるニコライ聖堂。
田京駅~韮山駅周辺まで
韮山反射炉
徳川幕府が威信をかけて建設(1857)した韮山[にらやま]反射炉。燃料の石炭を燃やした火炎がアーチ型の天井で反射し金属を溶かしたので、反射炉という。
韮山反射炉
ここで大小の大砲数百門を鋳造した。主に品川台場(江戸)で使われた。
江川英龍
韮山代官の江川太郎左衛門英龍[ひでたつ]。下田の反射炉を、ここ韮山に移築(1854)し、翌年他界したが、長男が継承し完成した。
蛭ヶ小島
韮山駅の東500mにある蛭[ひる]ヶ小島。かつて狩野川の流れに挟まれた中州でヒルが多くいたので、この名がある。
源頼朝・北条政子
源頼朝は、14才の時に、ここ蛭ヶ小島に流されてきた(1160)。伊豆は都から隔絶された遠流[おんる]の地だった。雌伏20年後、挙兵し平家を滅ぼす。写真左は尼将軍と呼ばれた妻の北条政子。
江川氏代官屋敷
前述の韮山代官・江川氏の代官屋敷。蛭ヶ小島から東へ約800mの所にある。
下田街道歩きコース
コース | 下田街道歩きのプラン | |
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1 | 下田~湯ヶ野 | 下田市内散策→(伊豆急行)→河津(桜)→5km→湯ヶ野温泉(泊) |
2 | 湯ヶ野~天城越え~湯ヶ島 | 河津七滝→(踊子歩道or二本杉歩道)→浄連の滝→(バス)→湯ヶ島温泉(泊) ※どちらも所要時間5時間20分 |
3 | 湯ヶ島~三島 | 湯ヶ島散策→10km→修善寺散策→韮山史跡巡り→(伊豆箱根鉄道)→ 三島から帰宅 |
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