姫街道 三日目の街道歩き旅 [気賀~池田編]
気賀駅~曲り松まで
気賀関所
1990年に再建された気賀関所。
新居関に劣らずここの取調べは厳しかったようだ。ただし直虎の時代にはまだこの関所はなかった。
本陣前公園
本陣前公園
細江神社
細江神社(写真左)。
歴史民俗資料館が隣接している。
気賀関所跡
気賀関所跡。
ポケットパーク
ポケットパークにも姫様道中の絵が。
姫様道中
人気の祭・姫様道中は1952年に始まった。
毎年4月第1土・日に行われる。(1986年撮影)
姫様道中
お姫様は駕籠に乗り
姫様道中
侍、奥方、腰元、奴など百余名を従えている。
水道タンク
水道タンクにも巨大なイラスト。
姫様はモテモテである。
服部小平太の墓
古道の面影たっぷりの長坂。暗闇坂ともいう。桶狭間の戦いで今川義元の首を討った手柄により、この地の領主となった服部小平太がここで暗殺(1587)された。恨みによるリベンジか。
老ヶ谷一里塚跡
江戸から68番目の老ヶ谷[おいがや]一里塚跡付近。
老ヶ谷一里塚跡
説明板によると、この辺りに富士見茶屋と呼ばれる茶屋があったらしい。
千日堂
旅人の休憩所であり、旅の安全を祈った千日堂。
右が街道。
秋葉燈籠
街道筋に秋葉燈籠が建つ。
姫街道は秋葉山への参詣にも利用された。
六地蔵と街道碑
例の街道碑(写真左)が六地蔵の傍に建つ。
六地蔵
昔、この裏の竹藪が刑場だったので、その霊を慰めるために建てられたそうだ。
曲が松~三方原まで
曲り松
ここは曲り松。姫様行列や旅人の送迎場所だった。
傍に松島十湖の句碑も建つ。
姫街道の看板
ひときわ目立つ大看板。
優雅な街道名は今も地元で愛されている。
姫街道車庫バス停
街道沿いのバスステーションにも街道碑(写真左)が建つ。
三方原
三方原[みかたがはら]の松並木。浜松の市街地に近づいてきたので車もやたらと多い。
三方原西交差点
ここ三方原は若き日の徳川家康(29才)がベテラン武田信玄(51才)に生涯最大の敗北(三方原の戦い 1571.12.12)を喫した古戦場として有名。
三方原~小池一里塚まで
姫街道の松並木
追分一里塚
江戸から66番目の追分一里塚。
一里塚橋
追分一里塚のすぐ近くには一里塚橋がある。
宇藤坂
何やら古道らしき坂道(宇藤坂)を下る。
旧五枚橋跡
馬込川にかかっていた旧五枚橋跡。
自動車学校前駅
遠州鉄道の自動車学校前駅付近に建つ街道碑。
小池一里塚跡碑
江戸から65番目の小池一里塚跡碑。このあと、市野、下石田を経て東進すると天竜川で行き止まり。池田へ行くには約1km南の天竜橋を渡るしかないが、歩道がないので厄介。バスはある。
歴史風景館
東海道400年で整備された(2001)、池田の渡し・歴史風景館。入館無料。
池田の渡し
池田の渡しは10世紀から行われていた。16世紀後半になると池田方十人衆が徳川家康から天龍川下流域での唯一の渡船権を認められた。
行興寺
近くの行興寺には熊野御前[ゆやごぜん]が愛用した藤の花が植えられ熊野の長藤として有名。花房の長さが1.5mに及ぶという。
熊野御前の廟
都で平宗盛に寵愛された熊野御前は母病気の折、
いかにせむ 都の春もをしけれど なれしあづまの花や散るらむ と詠み帰郷を許された。
市野宿~池田まで
見付宿
[参考写真]姫街道の終着点。東海道の見付[みつけ]宿(磐田[いわた]市)に合流する。
姫街道歩きコース
コース | 姫街道のハイライト・見所 | |
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1 | 当古~三ケ日 | 本坂峠、椿の原生林 |
2 | 三ケ日~引佐峠 引佐峠(象泣き坂)~気賀 |
三ケ日、引佐峠、象泣き坂、尉ヶ峰 |
3 | 気賀~池田 | 姫様道中、三方原、熊野の長藤 |
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