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秋田街道/あきたかいどう

秋田街道のルート

秋田街道のルート

奥州街道>(盛岡)-(雫石[しずくいし])-(橋場)-(国見峠)-(生保内[おぼない])-(角館[かくのだて])・・・六郷、大曲で<羽州街道>に合流

秋田街道の別名

雫石街道、秋田往来、生保内街道、角館街道、盛岡街道、南部街道

秋田街道の歴史

奥羽山脈の東西を結ぶ街道

古代より戦略の道として坂上田村麻呂or源義家によって切り開かれ、中世を通じて軍馬の往来が盛んだったようだ。

国見峠は街道最大の難所

平将門が敗れると、その娘・滝夜叉姫は奥州に逃れ、この峠を越え生保内に安住の地を求めた。

軍事的には前9年の役(1051〜62)から戊辰戦争(1868〜69)までの戦いの場となる。峠の出入り口にあたる橋場と生保内には口留番所が設けられた。また経済的にも海産物など物資交流の道だった。

明治期に入ると仙石峠が開かれ、その後、(旧)国道が完成したが、わずか12年で廃止。1976年、峠下をトンネルで抜ける国道が完成し現在に至っている。

十返舎一九[じゅっぺんしゃいっく](1765〜1831)の取材旅行

各種の膝栗毛(徒歩で旅行すること)で有名な江戸時代後期の戯作家。健脚を誇り足をマメにして各地に取材旅行した。秋田街道の旅の記録を残している。

ほかに、角館出身の画家平福百穂[ひらふくひゃくすい](1877〜1933)

若き日の田山花袋(1872〜1930)、忘れじの旅路

まだ駆け出しの小説家、22才の青春時代のことである。旅行大好き人間の彼は、母の故郷・山形を目指し、東北への大旅行に出かけた。かなりの健脚で1日10〜12里をワラジでてくてく歩いたという。

福島、仙台、松島、中尊寺と歩き盛岡のあと国見峠(仙岩峠)を越えて、生保内にも宿泊した。

宮沢賢治(1896〜1933)の夜間ウォーク

それは盛岡高等農林学校(現、岩手大学農学部)3年の時である。盛岡から雫石までだから約20kmを文学愛好の仲間3人と夜通し歩いた。即興的に意気投合したのであろう。とても中高年の旅人には真似ることの出来ない徹夜歩きだ。

なお宮沢賢治は秋田街道という作品もある。

秋田街道歩き旅アドバイス

この街道は、前述のとおり盛岡からスタートするのだが、盛岡の散策は後日、奥州街道の折に掲載したい。その代わりに滝沢村のチャグチャグ馬コを見学した。

これは東北のみならず日本を代表する祭りの一つ、必見だ。見学にも便宜がはかられており土曜日実施(6月第2)。しかも盛岡駅から無料シャトルバスが数本出ている。

秋田街道歩きコースプラン

コース

  コース ハイライト・見所
1 滝沢村 チャグチャグ馬コ チャグチャグ馬コ
2 雫石〜生保内 国見峠、仙石峠
3 角館の散策 青柳家などの武家屋敷

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