和歌山街道 三日目の街道歩き旅 [橋本~五篠編]

橋本~県境碑

和歌山街道 橋本~県境碑の地図
妻の社神社

妻の社神社

JR橋本駅の東500mにある妻の社神社(写真左)。

境内には万葉歌碑もある。

ナビ碑

ナビ碑

西光寺付近の下り坂。中央には例のナビ碑が迎えてくれる。

くらがりとうげ

くらがりとうげ

この坂道を「くらがりとうげ」と呼ぶらしい(写真右)。峠というほどのものではないが、よく見るとという字が使われている。

下兵庫の町並み

下兵庫の町並み

JR下兵庫駅の西へ300m程の所。街道らしい雰囲気が残る。

街道案内プレート

街道案内プレート

路面には街道案内のプレートが埋設されていた。奥が歩いてきた和歌山方面。右へ行くと近所の護国寺。

西国橋

西国橋

西国橋の東にも例のナビ碑が建つ。

JR隅田駅付近

JR隅田駅付近

JR隅田駅[すだ]付近の景観。左が歩いてきた街道。ここでR24号(右)を横断する。

県境碑

県境碑

落合川にかかる両国橋のそばに県境碑が建つ。

「従是東 奈良県管轄」とある。手前が奈良県(五篠市)側。

県境碑の東100mの丘の上

県境碑の東100mの丘の上

お目当ての碑が並び建つ。「万葉の道」と「真土山」、側面には「こぬ人を真土の山の郭公[ほととぎす]」とある。

真土山(標高160m)

真土山(標高160m)

南海道が開かれたころ(7C.末~8C.初)は落合川の東側にある真土山が国境で紀州から大和へ向かう旅人はこの山を越えた。少し南へ行くと「飛び越え石」の案内がある。

渡り場

渡り場

落合川の中に、ほんのひとまたぎで越えられる岩(写真左)がある。神代の昔から渡り場と伝えられている所。風情というか雰囲気のあるスポットだ。

万葉歌碑

万葉歌碑

飛越石への途中にある万葉歌碑。古来、真土山は歌枕の地で、都人にとって憧れの紀伊との境界だった。

万葉歌碑

万葉歌碑

こちらの歌碑はR24号沿いに建つ。「麻裳(紀伊の産物)よし 紀へ行く君が真土山 越ゆらん今日ぞ雨な降りそね」

街道

ナビ碑

R24号沿いに建つ例のナビ碑。南から北へ国道を横断し東へ急カーブする。

五篠市山野原

街道

前述の県境碑(R24号沿い)の約100m北を通る街道。

五篠

和歌山街道 五篠の地図
ナビ碑

五篠市山野原

ここは奈良県(県境から約1km地点)だから紀州街道(写真左)と表記されている。その下には「真土越えの路」とある。右奥が橋本方面。

山田旅館

山田旅館

JR大和二見駅の南からR24号と分岐する街道。その新町通りに、山田旅館(写真中央)、西方寺が面している。

五篠という地名

五篠という地名

地名は古代の条里制に由来する。大和街道の宿場町として繁栄を極めた。ゆっくりと散策したいエリアだ。

神田橋

神田橋

吉野川にかかる神田橋。

路面はカラー舗装である。

新町橋

新町橋

約300m進むと、東浄川にかかる新町橋。

町並み

町並み

道幅は狭いが、重厚な造りの民家や造り酒屋が続く。

新町通り

新町通り

街道の面影を色濃く残す新町通り。

一の橋餅屋

一の橋餅屋

右は一の橋餅屋。看板の「橋の一商餅」の橋の字が見える。

栗山家住宅

栗山家住宅

江戸初期(1607)建築の豪商・栗山家住宅(写真左)建造年代がわかる民家としては日本最古で重文指定。

交差点「本陣」付近の道標

交差点「本陣」付近の道標

笠石付き2mの大道標だ(1855年建)。当時の旅人には心強い味方であったろう。

大道標

大道標

9カ所の地名が刻まれている。「右、伊勢・はせ・なら・大峯山上・よしの」「左かうや(高野)、わかやま、四国、くまの」

千早越え

千早越え

[参考写真]

五篠は天誅組旗揚げの地。河内から千早峠を越えて五篠代官所を襲撃した。一尾背[ひとおせ]神社付近の景観。