土佐北街道/とさきたかいどう
土佐街道は土佐に続く街道の総称ですが、土佐北街道のことを土佐街道と呼ぶことが多い。土佐北街道は平安時代からの川之江から四国山地を超える北山越えの官道。土佐日記を書いた紀貫之が通った道。
土佐北街道のルート
<松山街道>(高知)-(布師田)-(国分)-(領石)-(穴内)-(本山)-(川口)-(立川)<笹ヶ峰峠>(馬立)-(新宮)-(上分)-(川之江)<讃岐街道>
大半は現在の県道32号線
土佐北街道の別名
土佐北街道は土佐街道、立川街道、北山越とも呼ばれた。
土佐北街道の歴史
土佐北街道は平安時代の官道(太政官道)
川之江から四国山地を超える北山越えの官道となる(797年)。それまで土佐への南海道は伊予の西部を南下していたので、かなりの長距離で不便だった。この改定により距離は大きく短縮した。
紀貫之、土佐の国司赴任(930年)の道
任期を終え土佐から京都に帰るまでの紀行(「土佐日記」)は有名。
戦国大名長宗我部元親の軍用道路
土佐北街道沿い近くの岡豊城跡(97m平山城)に生誕した元親は全四国を制覇(1584)。城跡に歴史民俗資料館が建つ。
土佐藩の参勤交代道(江戸時代)
はじめは海路(浦戸~大坂)を取っていたが、暴風による難航に困り、北山越えに変更された(1718年)。江戸までは30~40日かかる大旅行で、多い時には約2,000人もの家臣が随行したという。
土佐北街道歩き旅
この街道の圧巻は笹ヶ峰峠越え(下記コースプラン⑤)であり、これは文化庁の「歴史の道」にも選定されている。尚、国見越え(本山町南端)にも食指が動いたが、適切な宿泊所がなく断念した。
アドバイス
JR伊予三島から新宮へは「せとうちバス」が運行しており、街道筋の上分、金田、平山に停留所がある。また大豊町の町民バス(立川~JR大杉)も利用可能だが、いずれも便数が少ない。
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