人吉街道 二日目の街道歩き旅 [加治木~白銀坂編]
毛上~加治木


毛上バス停
県道55号の毛上[けあげ]バス停から西南に分岐する道を下っていく。
バス停付近には案内板がないので要注意。

龍門司焼の里
少し進むと、スポーツと陶芸体験施設がドッキングしたトム(陶夢)ランドが見えてくる。
この辺りは龍門司焼の里だ。

さえずりの森
この信号のない交差点は直進(写真中央奥へ)する。
写真右へ少し進むとさえずりの森。食事と宿泊ができるようだ。

龍門司坂入口
ここが歴史の道龍門司坂[たつもんじざか]の入口。
1741年に完成した石畳の道。今は454mだけが当時のまま残されている。

龍門司坂の石畳
面取りされた石が行儀よく
美しく敷きつめてある。
これは品格のある石畳だ!

龍門司坂
誰も歩いていない。独り占めで申し訳ない気持ち。
滑りやすいから地元の人は敬遠するのかも。

龍門司坂
思わず息をのむ美的街道。
まさにフレッシュ・グリーンのベルト状態である。

苔の石畳
薩摩の大軍がここを通過して北上した時は、雪天でさぞかし難儀したことであろう。1877年当時は、このように苔むしていたのだろうか。思いを巡らしていたら一回苔で滑ってしまった。注意されたし。

龍門司坂と大門坂
熊野古道の大門坂も苔むした石畳で美しかった。
けど、あちらは階段状になっていた。

加治木
坂を下って出口近くで加治木の町が見えてきた。
加治木は古くから姶良[あいら]地方の政治・経済・文化の中心地で関ヶ原の戦で勇戦した島津義弘(1535~1619)が晩年過ごした地。

龍門司坂
南側出入口
ここが南側の出入口。
加治木は、交通の要所でもあり高岡筋(日向[ひゅうが]の延岡方面に向かう)との分岐点だった。

海音寺潮五郎
文学碑
街道沿いではないが、加治木高校に寄り道。
校庭にはこの街道の要所、大口市出身の海音寺潮五郎(1901~77)文学碑が建つ。代表作に西郷隆盛、平将門。

性応寺
更に南へ約1km進むと性応寺。ここは少年時代の一時期、与謝野鉄幹が暮したところで歌碑が建つ。
老の身の 相見てうれし
をさなくて 加治木の寺に
うゑしたぶの木 (鉄幹)
加治木なる 五つの峰の
なみかたの 女めくこそ
あはれなりけれ (晶子)
鉄幹は47年ぶりの訪問だった。
帖佐~白銀坂


白金酒造
JR重富駅近くにある白金[しらがね]酒造。創業140年の老舗で白金乃露は西郷隆盛も愛飲した焼酎
。そのものずばり白銀坂という原酒もある。

白銀坂の案内板
白銀坂[しらがねざか]の案内板が見えてきた。
この近くを県道57号(九州自動車道姶良I.Cに接続)が走っている(写真手前)。

白銀坂の案内板
前の写真を別角度から見る。
ここへは一度JR日豊本線の下のトンネルをくぐって来る。

白銀坂

街道碑
歴史の道のトレード・マークが建つ。
これを目にすると条件反射で武者震いする。

龍門司坂と白銀坂
龍門司坂とは対照的に、こちらの石畳は、形も様々でごつごつとした石が並べてある。しかも全く苔むしていない。

白銀坂
この違いは、いったいどうしてなのか。
恐らく、日照とか湿度の違いなんだろう。

鹿児島湾北岸
急坂を登っていくと、やがて海が見えてきた(写真右)。鹿児島湾北岸である。
姶良、加治木方面が一望のもと。

鹿児島湾北岸
吉田から鹿児島城下までの道筋と所要時間に若干の不安があったので、安全策をとり重富に引き返しバスで、この日の宿泊地・鹿児島中央に向かう。
時には退却する勇気も必要だ。
人吉街道歩きコース
人吉街道歩きコース | ハイライト・見所 | |
---|---|---|
1 | 人吉市内散策 | 人吉城、願成寺 |
2 | 加治木町(毛上)~龍門司坂~白銀坂 | 龍門司坂、白銀坂 |
Copyright(C) 街道の旅.com All rights reserved.