竹内街道(竹ノ内街道、竹之内街道) 二日目の街道歩き旅 [古市~当麻編]
古市駅周辺から太子町周辺まで
古市の町並み
古市駅を越え、JA大阪南[写真奥]付近。
古市の町並みが立ち並ぶ。昔の雰囲気が残っている。
蓑の辻(西側)
羽曳野市古市、蓑の辻に建つ嘉永元年[1848年]の道標。
左 大和路、上の太子、たえま(当麻)
「左」 は写真中央の車の方向で、これが竹内街道のルート。また、ここは東高野街道との交点で、金剛山・高野山方面は南進する。
蓑の辻(東側)
東側[写真手前]から見た古市蓑の辻。
道標[写真左端]が示すように 右 大坂 で
すぐ(直進)さかい(堺) 。
つまり今迄歩いてきた竹内街道は写真右奥である。
三角形のパネル
古市箕の辻から少し進んだところに街道碑がある。
中央の三角形はパネル絵図が埋め込まれている。
三角形のパネル
路面にパネル絵図が埋め込んである、三角形のパネルを近くで見た写真。
江戸時代の古市の繁栄が偲ばれる。
川向の道標
石川にかかる臥龍橋を渡った川向に立派な道標が2基建つ。
右の道標は、ここから南へ1.5kmにある大黒[おおぐろ]の大黒寺、左は河南町加納にある法華寺(約7km)への案内である。
社本神社
羽曳野市駒ヶ谷にある社本神社[写真右]付近の街道。
道標
駒ヶ谷の道標。
右 金剛山、口永井、
通法寺、上ノ太子
宝篋印塔
近鉄・南大坂線上ノ太子駅[写真左]の前[北]を街道が通る。
写真右は宝篋印塔[ほうきょういんとう]。
街道碑
近鉄・南大坂線上ノ太子駅の前にある街道碑。
上部に説明碑がドッキングしている。
山田集落
太子町山田には、古い家並みが残っている。
餅屋橋の道標
街道は餅屋橋[写真左中央]を渡り飛鳥川沿いに登っていく。
傍に道標[写真右]が建つが少々読みづらい。
右 推古天皇御陵、
科長神社、小野妹子墓、
倉山田石川麻呂墓
左 孝徳天皇御陵、
鹿谷寺旧蹟、中将姫旧蹟
近くに、「竹内街道資料館」がある。
太子町周辺から長尾神社まで
伊勢灯籠
伊勢参りの人々が大勢通った街道沿いに伊勢灯籠。
「大神宮」は伊勢神宮のことである。
県境碑
二上山南麓、標高289mの竹内峠。
従是東奈良県管轄 の県境碑[大正9年]、「鶯の関」碑、拡幅工事記念碑などが建つ[写真右]。
ガードレール[写真左]の下、約10mの所をR166号が通る。残念ながら眺望は良くない。
峠の小公園
峠は、小公園になっており、あずま屋風の休憩所[写真左]がある。
ここから東の街道は歩行者専用路(約1㎞)になっていて歩きやすい。
鶯の関跡碑
竹内峠は、古くは「鶯[うぐいす]の関」とも呼ばれた。
昔からウグイスの名所だったらしい。
この峠の風景に多くの文人たちが筆をとった。
竹内集落
R166号とも分れ、なだらかな坂道を下る。
ここが街道名の由来となった竹内集落。
手前が長尾神社方面。
綿弓塚
芭蕉ゆかりの「綿弓塚」[写真左]。
脇の民家は資料館兼休憩所になっている。
芭蕉は伊賀への帰途、弟子・千里[ちり]の故郷であるこの竹内宿に滞在した。
綿弓や琵琶に慰む竹の奥
竹内の景色
この竹内は「街道をゆく」でおなじみの歴史小説家・司馬遼太郎(1923~96)が幼少年期を過ごしたところ。
旅人の心を癒す美しい里である。
長尾の道標
当麻[たいま]町長尾の道標[写真右]。
右 よしの、つぼさか、
こうや
隣の自然石には
左 いせ、はせ(初瀬)
とある。ここは長尾街道との合流地点で、長尾神社[ここを直進]は、目前である。
竹内街道を歩くコース
竹内街道のコース | 竹内街道と周辺のハイライト・見所 | |
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竹内街道 | ||
1日目 | 堺市内観光~古市 | 大浜公園 |
2日目 | 古市~当麻 | 竹内街道資料館、竹内峠 |
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