石見銀山街道 二日目の街道歩き旅 [龍源寺間歩~温泉津編]
龍源寺間歩~ヨズクの里
坂根口番所跡
坂根口番所跡。
降路坂へは写真左奥へと進む。
歴史の道
この坂根口から温泉津[ゆのつ]までが歴史の道にセレクトされているコース。もちろん、自然歩道ともダブっている。
降路坂の頂上
坂道は徐々に高度を上げていく。
降路坂
シーンと静まりかえって不気味さが漂ってくる坂道。
ふと長崎街道の冷水[ひやみず]峠のことが脳裏に浮かんだ。
降路坂の頂上
ここが、降路坂の頂上(429m)。1940年代までは茶屋があり甘酒や茶菓子が売られていた。
降路坂の頂上
頂上には、説明板や休息ができるベンチもある。
石畳
部分的だが、ごつごつした石畳が残る。
五老橋
ここ五老橋で車道に合流する。写真左は矢滝城跡への道。ここは直進する。
西田集落
やがて写真左奥に西田の集落が見えてきた。ようやく坂道も終わり、平坦な道が続く。
西田宿
ここ西田は、かつての宿場町として繁栄した。その町並みに当時の面影が残っている。
西田
西田は、この街道のほぼ中間点にあたる。
ヨズクの里
西田はヨズクの里。
稲が掛った姿がヨズク(フクロウのこと)ににているので、この名がある。写真中央に小さく見える。
ヨズクの里~松山の道標
副道夷険碑
副道夷険碑
中村の題目塔
中村の題目塔。道標を兼ねたもので側面[写真左]に
右ハ ゆさと(湯里)みち
左ハ ゆ能つ(温泉津)みち
とある。古びて読みづらい。
案内板と標識
前述の題目塔のすぐ近くに建つ案内板と標識。ここで車道と別れ銀の道の方へ、坂道を登っていく。
石畳
当時の街道を偲ばせる石畳が残っている。珍しく地元の男性とすれ違った。
散歩中らしい。温泉津までは、あと2時間くらいだと教えてくれた。
堂床山
写真左の平らな巨石の上で、街道往来の馬子達が将棋を指したといわれる。
瀧光寺付近の街道
柿の実がたわわに実る坂を下りてきた。
瀧光寺付近の街道。
清水集落の分岐点
清水集落の分岐点。
直進すると清水大師。ここは右折[写真左奥へ]する。
いよいよ最後の坂道だ。
松山の石畳
階段状の石畳が、残っている。
中国自然歩道
この街道の下をJR山陰線が通過(トンネル)している。
松山の道標
傍には、松山の道標が安置されていた。
右 銀山大森
いづも(出雲)大社
松山の道標~温泉津散策
やきものの里
温泉津焼の復興を目指して整備されたやきものの里
最大級の登窯
全国でも、最大級の15段、10段の巨大な登窯がある。ほかに資料館があり、作陶体験もできる。
忠左衛門堂
旧道は、忠左衛門堂[写真左]の前を通っている。
写真手前が温泉津港方面。
忠左衛門堂
この微妙なカーブといい、幅といい、いかにも旧道らしい。写真中央奥が前述の忠左衛門堂。
温泉津
近くを歩いていた地元の男性が、かつての温泉津のことを懐かしく親切に語ってくれました。
温泉街
この辺りから、昔ながらの温泉街が海に向かって続く。旅館が軒を連ねている。
元湯温泉
1300年の歴史がある元湯温泉。
薬効の高い人気の共同浴場である。
浅原才市の銅像
元湯温泉の前には石見の妙好人(立派な念仏者の意)浅原才市(1850~1932)の銅像が建つ。角をはやしている。これは人間の業を表すらしい。
震湯カフェ内蔵丞
震湯[しんゆ]カフェ内蔵丞[くらのじょう][写真中央]。
ひときわ目立つ洋風木造建築である。1919年に建てられた薬師湯の旧館を利用したカフェ。
本町の町並み
本町の町並み。
内藤家
本町の町並み。
写真左が、庄屋屋敷・内藤家。
内藤家
石見の代官を務めた内藤家だけに、どっしりとした豪壮な外観。内部は公開していない。
なまこ壁の屋敷
なまこ壁の屋敷がかつての豪商の隆盛を物語る。
温泉津港
ここ温泉津港は天然の良港で古くは、対鮮交通の要地。また銀の積出港として繁栄、北前船も寄港した。
写真右は、野口雨情の温泉津小唄歌碑
浅原才市の生家
前述の才市の生家。もと下駄職人だったが、信仰の道に目覚めた。
JR温泉津駅の西200mの所にある。
石見銀山街道歩きコース
コース | 見どころ | |
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1 | 代官所跡~龍源寺間歩 | 龍源寺間歩 |
2 | 坂根口~降路坂~温泉津港 |
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