石動山道(大窪道)/せきどうさんどう
石動山道のルート
(能登二宮)-(伊須流岐比古[いするぎひこ]神社)-(旧勧坊)-(大窪)-(戸津宮)-(見田窪)
石動山とは
宝建丘陵の一峰で標高564m。古くより山岳信仰の霊場、霊山として祟められた信仰の山である。山頂付近に石動山天平遺跡、中腹に伊須流岐比古神社がある。山全体が国指定の史跡。
大窪道
中世における石動山への表参道である。氷見市の見田窪から石動山までが「歴史の道」に選定された。
石動山道の歴史
平安後期~鎌倉時代
石動山天平寺は360以上の院坊と3,000人の宗徒を擁する一大勢力。
南北朝時代
北朝側の軍勢に攻められ、全山焼き討ち(1335)。
安土・桃山時代
上杉謙信の七尾城攻め(1576)の際には、この石動山が戦略拠点となる(大宮坊が本陣)。また、本能寺の変の直後には石動山合戦(1582)の舞台となり前田利家の軍勢に敗北。再び全山焼き討ちの憂き目にあう。
江戸時代
元禄年間に、加賀藩の保護を得て勢力回復する。
神仏分離令(1868)
これにより宗徒は離散、石動山は完全に衰退する。
現代
七尾城跡などと共に、能登半島国定公園に指定される(1968)。また文化庁より、「歴史の道」に選定される(1996)。2002年に大宮坊の復元工事が完成し、翌年から公開している。
今回の歩き旅
石動山から、ほど近い(北へ約5km)七尾城跡を先に「攻略」した。難攻不落を誇った古城は、登り甲斐のある山城だ。
アドバイス
石動山は低山ながら、意外に積雪が多いので要注意。この歩き旅は4月中旬だったが、以下ご覧の通り積雪には難渋した。
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