七ヶ宿街道 街道歩き旅
七ヶ宿湖まで
道標
右が奥州街道
左が羽州街道
つまり七ヶ宿街道である。
万蔵稲荷・大鳥居
万蔵稲荷の赤い大鳥居をくぐり、険しい小坂峠へ向かう。
上戸沢宿
小坂峠を越えて約2㎞進むと七ヶ宿街最初の宿場・上戸沢宿。
ここから湯原までが「七ヶ宿」と呼ばれている。
分岐道標
福島県桑折[こおり]町追分の分岐道標[写真左 2本の電柱の間]。
桑折は半田銀山(佐渡の相川、但馬の生野と並ぶ日本三大銀山の一つ)で繁栄した交通の要所。
小坂宿
ゆるやかな坂道が続く。街道最初の宿場、小坂宿。
なまこ壁が目をひく。
小坂峠
「歴史の道」説明板が立つ小坂[こさか]峠。
標高441mで福島盆地の眺望は雄大とか。
当日は天候不良で願い叶わず。これより宮城県にはいる。
案内板と説明板
火の見櫓の下に上戸沢宿案内板と「歴史の道100選」の説明板が並んで建つ。
下戸沢宿
山間の宿場・下戸沢宿。
茅葺きの家並みが残り、宿場として賑わった当時の面影を偲ばせる。
小原の材木岩
約2㎞進むと白石川の対岸に天然記念物「材木岩」(石英安山石の柱状節理)が見えてくる。
高さ約100m 幅200m
渡瀬宿
往時には伊達政宗[だてまさむね]が川猟を楽しんだという渡瀬[わたらせ]宿。
今は昔日の跡形もなく巨大な七ヶ宿ダムの湖底に沈んでいる。
七ヶ宿湖から滑津宿まで
滑津宿・安藤家
街道の宿場の佇まいが最もよく残る滑津[なめつ]宿。
旧脇本陣の安藤家はどっしりとした茅葺き屋根に軒唐破風の玄関が印象的である。
隣にも立派な土蔵がある。
吉野屋
安藤家[写真左]の前に立つ「吉野屋」は、民宿兼、手打ちそば処。
地蔵と街道碑
少し進んだ所に地蔵[写真中央やや左]と街道碑[写真右端]がある。
振袖地蔵
この地蔵は「振袖地蔵」といい隣宿場「関」の地蔵と対のもので、お互いが向き合っているとか。
江戸へ向かう秋田の殿様が、この地である娘を見初めた。
後日、娘が死んでいたことを知り殿様は娘に似た地蔵を刻ませた。
街道碑
立派な街道碑が建つ。
「右ハ旧七ヶ宿街道」
「左ハ新七ヶ宿街道」
道中の風景
右の旧道を進むと、往時の雰囲気が漂ってくる。
静寂そのものである。
滑津宿から楢下宿まで
湯原宿
峠田宿から約4㎞西進すると湯原[ゆのはら]宿。
藩境の宿場であった。
バスや車はバイパス[写真左端]を通っている。
牛馬塔と庚申塔
湯原から約1㎞西の分岐点に牛馬塔と庚申塔[写真中央]が並んで建つ。
その右側面に
「右ハもかみ(最上)海道」
とある。
右折すると金山峠方面、つまり羽州街道に通じる。
庚申塔
庚申塔の左側面には
「左ハ米さわ(沢)海道」。
ここを直進(西進)すると二井宿を経て米沢市に通じる。
金山峠
宮城・山形の県境をなす、金山[かねやま]峠(629m)。街道中の難所の一つ。
ここから東北自然歩道が楢下方面へ通じ木道が整備されている。
これは平成8年に「歴史の道100選」に選定された。
楢下宿
出羽[でわ]国(山形県)には入ると「羽州[うしゅう]街道」と呼び名が変わる。
その最初の宿場・楢下宿(上山市)は、今でも宿場らしい景観と風情を残す。
ここは、平成7年「歴史国道」に指定された(建設省)。
脇本陣「滝沢屋」
新町へ移転、復元された楢下宿脇本陣「滝沢屋」。
県指定文化財。
曲がり家造り。
新橋
金山川に架かる新橋。
1880年(明治13)建造のこの石造りアーチ橋は楢下の名所のひとつになっている。
庄内屋(粟野家)
楢下宿・脇本陣の庄内屋(粟野家)。
庄内藩(山形県北西)の定宿だった。
自由に見学できる。
楢下宿・新橋付近
楢下[ならげ]宿「新橋」付近の景観。
軍事戦略のため街道は鉤形[かぎがた]、つまりコの字に曲がっていた。
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