丸亀街道 一日目の街道歩き旅 [金刀比羅宮編]
金刀比羅宮まで
太助灯籠
丸亀港にある太助灯籠。大坂の港を出港した「こんぴら丸」はここに着いた。写真右に「明治天皇上陸記念碑」。1872年7月西郷隆盛らを従がえて九州方面の行幸の帰途、立ち寄られた。
太助灯籠
寄進した江戸の豪商・塩原太助の名をつけて太助灯籠と呼ばれる
高さ約5,3m、蓮華(ハスの花)をデザイン化したもので台座には「江戸講中」と彫られている。1834年建立。
みなと公園
近くにある「みなと公園」には石灯籠(写真左、一対あるうちの一基)が建つ。
バックの青いブリッジは京極大橋。
こんぴら丸
「みなと公園」の一角に陳列してある「こんぴら丸」。これが江戸時代に大活躍したのだ。今は子供(写真左)たちの遊具。
妙法寺
JR丸亀駅の南300mにある「妙法寺」。別名蕪村寺と呼ばれ、文人・画家・俳人の与謝蕪村がしばらく、ここに滞在した(1766年)。境内には句碑がある。
門を出れば 我も行人
秋のくれ
丸亀城
街道から少しそれるが、丸亀城に立ち寄る。
JR丸亀駅からだと歩いて約15分。
丸亀城
石垣が高い(約60m)のと曲線美が売りである。
丸亀城 大手門
寿覚院
寿覚院山門前の灯籠(写真右)と道標(中央やや左)。灯籠は大坂講中が奉納したもので 金比羅大権現、永代常夜燈 と彫まれている。
道標
傍には1880年建立の道標があり、左 こんぴら道
右 かわくち と刻まれている。もとは丸亀港の突堤に建てられていたものである。
南条町の常夜灯
1764年建立の南条町の常夜灯。側面に農人町・南条町講中と刻まれている。
この前を南進(写真右奥へ)する。
百四十丁石灯籠
中府町の百四十丁石灯籠(1808建立)。傍に新しい道標。これは遍路の案内で77番道隆寺3,6kmとある。
道標
路地の角に道標(写真右)が建つ。南側の面には
従是金比羅江百五拾丁と刻まれている。約20m先には石の大鳥居(写真左奥)が見える。
中府の大鳥居
写真右に天下泰平。
左に海陸安穏と刻まれた、中府の大鳥居。
高さ約7m。ここをくぐって南進する。
平成の丁石
真新しい平成の丁石[ちょうせき](2005年建立)が、地域の活性化と観光振興を狙い建てられている。
平成の丁石
柞原[くはら]に建つ
平成の丁石 20丁。
JR琴平駅
JR琴平駅。1923年竣工。北欧風の貴重な木造建築。駅前には、ずらりと常夜灯が並んでいる。
北神苑の高燈籠
丸亀街道終着点の北神苑にある高燈籠。
高さ約28mは日本最高で、街道を歩く人々のみならず沖合の船のランドマークだった。現在でも夜は灯りをともす。
鞘橋
約150年前に建造された鞘[さや]橋。刀の鞘の形をしているので名付けられた屋根付の橋。このタイプの橋は梼原でも見かけた。年に3回使用されるだけで、人間様は普段は通れない。
金丸座
参道から左手の脇道に入ると金丸座[かなまるざ]がある。1835年建造で現存する最古の木造芝居小屋。
春の恒例興業には全国から歌舞伎ファンが集まる。
虎屋
幕末からの宿屋として知られる虎屋。
ここから本社まで785段の石段が延々と続く。なかなかハードである。
表参道
表参道には参詣客めあての土産物屋が軒を連ねている。
大門
ここが大門。
門前町は、ここまでだが登りの石段は、まだまだ続く。
五人百姓
大門をくぐると大きな傘をさして金比羅アメを売る露天商がいる。これが五人百姓で境内で特別に営業を許可されている。
飯野山
本宮前の境内は高台で讃岐平野が一望できる。
中央は讃岐富士の別称をもつ飯野山。
金刀比羅宮
やっと着いたぞ金刀比羅(ことひら)宮。
古くからさぬきのこんぴらさんとして親しまれている海の神様。いつも賑わっている。参詣客は年間約400万人とか。
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