石巻街道 二日目の街道歩き旅 [塩釜~多賀城編]
塩釜~多賀城
塩釜神社
JR仙石線、本塩釜駅から西へ800mの所にある塩釜神社。
古来、奥州一の宮として広く信仰を集めたしおがまさんである。
源義経も参詣し、勿論松尾芭蕉も訪れている。
塩釜神社
塩釜という地名は、製塩地だったことに由来する。
奈良時代は後述する多賀城国府の外港だった。
塩釜神社の石段
塩釜神社
表坂の石段(写真左)を下って振り返る。
これは登りも大変だ。
帆手祭
塩釜神社では毎年3月10日に帆手祭がおこなわれる。ミコシに伴う鉾旗が湾を航行する船の帆の手に似ているので、この名が生まれたという(1990年撮影)。
帆手祭
12:30に行列が神社から出発した。
見物人は参道両脇に鈴なりである。
帆手祭
総勢500人近くの行列が長く続く。
帆手祭
この祭の圧巻は、ミコシが急坂の石段を勢いよく駆け下りるところ。
担ぐ氏子たちは皆、すその長い白い神衣をまとい息よけ(マスク)をかけているから相当苦しかろ。
塩釜曲水碑
塩釜神社の南に塩釜曲水の碑が建つ。
この辺りは門前町らしく景観整備されている。
仙台海道碑
すぐ近くには仙台海道碑が建つ。
細かい字で総社宮を経て仙台に至るとある。
JR東北本線の下(写真左)をくぐって西へ進む。
東門跡
多賀城跡に近づいてきた。
ここは東門跡。
天皇碑
天皇碑が並び建つ。
左は後村上天皇(1339即位)。ここは南朝の軍事拠点でもあった。右は東北・北海道行幸中(1876)の明治天皇。
多賀城跡
多賀城は陸奥の国府及び鎮守府として置かれ(724)、約200年間、東北地方の政治的中心地だった。都人たちの憧れの地、歌枕の地でもあり遠[とお]の朝廷[みかど]と呼ばれた。
多賀城跡
その後、源頼義・義家の治める所となり源義経主従も通り、また源頼朝も滞在している。
政庁跡
古代多賀城の中枢部分・政庁跡。
ここで陸奥国府の重要な儀式などを行った。
復元模型
縮尺1/200の復元模型もある。
壷の碑
政庁跡から南へ少し進むと覆堂(写真中央奥)が見えてきた。この中に壷の碑[いしぶみ]と呼ばれる多賀城碑が建つ(762年建、国重文)。古くから歌枕に詠まれ西行も眺めた碑でもある。
多賀城の創建碑
多賀城の創建などのことが刻まれている碑である。
野ざらしのまま約1000年の風雪にじっと耐え、静かに佇む碑をみて芭蕉は落涙するほどに感動した。しかし今は格子戸に囲まれ、残念ながら間近に見られない。
あやめ園
多賀城跡の一角にあるあやめ園。
6月下旬~7月上旬の多賀城跡あやめまつりには200万本が咲き乱れるという。
あやめ園
2~3日早かったが、それでも旅人の目を楽しませてくれた。
おもわくの橋
あやめ園からおもわくの橋へ寄り道をした。
南東へ1.5kmの所だが複雑な地形で、すんなりと行けない。
ウォーキング中の中年男性に助けてもらった。
おもわくの橋
野田の多摩川にかかるおもわくの橋。
昔は小さな土橋だった。前九年の役(1051~62)で知られる安倍貞任と恋人おもわくとのラブストーリーが伝わる。
石碑
JR多賀城駅へは南へ700m。
そこから仙石線に乗り仙台に向かう。
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