出羽仙台街道 一日目の街道歩き旅 [鳴子温泉~最上、山刀伐峠編]
鳴子温泉駅周辺~中山平温泉駅周辺
鳴子温泉駅
JR陸羽東線の鳴子[なるこ]温泉駅から、このコースはスタートする。駅前には旅館や土産屋などが、ずらりと並んでいる。R47号沿いにある岩下こけし資料館が前方に見える。ここを右折して旧道に入る。
尿前の関
500mほど進むと、尿前[しとまえ]の関。この辺り、人家もなく人影なく淋しい所。
一軒だけ茶屋があるにあるが・・・。
尿前の関
都落ちの途中、源義経主従が通過した関所でもある。
松尾芭蕉像
それ以上に有名なのは松尾芭蕉が、この関を越えて(このコースと同じ)出羽へ向かったこと。
取締りが厳しく関守に怪しまれた芭蕉(写真右)。
左は奥の細道文学碑。
松尾芭蕉の句碑
松尾芭蕉の句碑が関所前に建つ。
蚤虱[のみしらみ]馬が尿する枕もと
街道碑・説明板
ここからは歴史の道らしく、坂道を登っていく。
傍らには例の街道碑や説明板が建つ。
鳴子温泉駅
しばらく登り、ふり返ると出発地の鳴子温泉駅(写真中央)方面が小さく見える。
日本こけし館
街道の周辺にある日本こけし館(写真左)。
鳴子はこけしと温泉の町だ。
斉藤茂吉歌碑
薬師坂頂上手前に斉藤茂吉(1882~1953)の歌碑が建つ。
山形県に疎開した折に詠んだのであろうか、松尾芭蕉への親しみが感じられる。
小深沢入口
こけし付きの案内板が旅人を誘導してくれる。
小深沢の入口。
鳴子峡入口
鳴子峡入口。
鳴子峡
鳴子峡は東北を代表する紅葉地。
しかし6月では何ともなりません。
結城哀草果歌碑
鳴子峡の入口には、前述の斉藤茂吉に師事した結城哀草果の歌碑が建つ。
谷川の 岩に閊[つか]へし 流し木に こえゆく水の 白くせきあふ
中山平温泉駅~堺田駅周辺
大深沢遊歩道入口
大深沢は、かつて街道一の難所といわれた所。
今は歩きやすく整備されている。
R47号
R47号(写真手前)に合流、約2km国道歩き。
中山宿駅跡
中山平温泉駅を過ぎ500mほど進むと中山宿駅跡。
ここからはR47号と分岐する。
道中の風景
再び歴史の道らしい雰囲気が漂う。
甘酒地蔵尊付近
義経伝説にゆかりのある甘酒地蔵尊付近。
甘酒地蔵尊
源義経主従が平泉に向かう途中、野宿したが山猿に甘酒でもてなされたという。
休憩所
道中、休憩所も用意されている。
出羽街道中山越
説明板
出羽街道中山越の説明板。
街道碑
宮城・山形県境付近。
右奥が歩いてきた中山平方面。
封人の家
梅雨時の大雨とて芭蕉が2泊した封人の家。
封人は、いわば国境警備官。建物が改装中だった。
松尾芭蕉の句碑
前庭には、松尾芭蕉の句碑が建つ。尿前の関にあった句と同文。
芭蕉は馬の尿の音で熟睡できなかったようだ。
堺田駅周辺~赤倉温泉駅周辺
赤倉温泉駅~最上駅周辺
山刀伐峠
2日後、芭蕉は尾花沢へと向かった。
しかし途中には、奥の細道中、最大の難所といわれた山刀伐峠[なたぎりとうげ]がある。
それゆえ、屈強の若者に守られ昼なお暗き密林状態の峠を越えたのである。
山刀伐峠
ナタギリとは猟師の被り物で、形が峠の地形に似ていたらしい。
松尾芭蕉は身の危険におびえながら戦々兢々と、この峠を登ったようだ。
山刀伐峠
しかし今、この歴史の道は整備され気持ちの良い遊歩道に生まれ変わった。
山刀伐峠
ブナやナラの自然林におおわれているが、峠は明るい。往年の難所の変貌振りに芭蕉なら腰を抜かすだろうか
地蔵堂
巨木(子持ち杉)の傍には地蔵堂(右)が建つ。
文学碑
近くには文学碑が建つ(奥の細道一節)。
山刀伐峠山頂
山刀伐峠頂上付近の景観。
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