薩摩街道 一日目の街道歩き旅 [鹿児島市内散策編]

鹿児島市内散策

薩摩街道 鹿児島市内散策の地図 高麗橋

高麗橋

JR鹿児島駅の北東へ約1kmの所にある祇園之洲公園からスタートする。

公園内には高麗橋(写真中央)が移設されており、これを創建した肥後(熊本県)の名石工岩永三五郎(写真左)が見つめている。

祇園之洲公園

祇園之洲公園

浅瀬になっているので子どもたちが楽しく水と触れ合っている。すばらしい石橋の保存だけでなく県民に親しまれている。

これはグッドアイディアだ。

玉江橋

玉江橋

これも甲突川から移設された玉江橋(4連アーチ、1849年建)。

近くには薩英戦争の記念碑も建つ。

我は海の子歌碑

我は海の子歌碑

祇園之洲公園に我は海の子歌碑が建つ(写真左)。

作詞者の宮原晃一郎は鹿児島県加治屋町の出身。

バックは桜島。

ザビエル上陸

ザビエル上陸
記念碑

同じく祇園之洲公園の一角にザビエル上陸記念碑が建つ。

イスパニアのヤソ会宣教師。上陸は1549年8月15日のことだった。

私学校跡

私学校跡

前述の公園から1.5kmほど南下すると私学校跡。

西郷隆盛が青少年教育のため設立した。

石垣には西南戦争時の弾痕が無数に残り、激戦の様相を伝える。

説明板

説明板

「おはんら何たることをしでかしたか」というタイトルの説明板が建つ。過激な私学校生徒が陸軍火薬庫を襲撃したことへの西郷隆盛のコメントである。しかし不本意ながらも挙兵、天命に従がったのであろう。

鶴丸城跡

鶴丸城跡

島津氏77万石の本城、鶴丸城跡。この御楼門が大手門、つまり正面入口。

薩摩は人を持って城となすの言葉通り、天守もなく小規模な城だったが、実は120以上の外城[とじょう]に支えられていた。

鶴丸城跡

鶴丸城跡

この鶴丸城は明治天皇の行幸時(1872)には行在所になった所。

随行した西郷隆盛は「故郷に錦を飾り」10日間も滞在した。

鹿児島市立美術館

鹿児島市立美術館

城跡から約200m南へ進むと鹿児島市立美術館。

黒田清輝、藤島武二など地元の画家を中心に展示している。

西郷隆盛像

西郷隆盛像

城山のふもとに建つ西郷隆盛像(写真左)。

1877年9月24日早朝政府軍5万の攻撃を受け西郷軍は壊滅。

西郷隆盛は自刃した(50才)。

西郷隆盛像

西郷隆盛像

西郷隆盛(1827~77)は維新回天の大業を達成した英傑。薩摩の誇りである。

座右の銘は敬天愛人。

ザビエル頌徳碑

ザビエル頌徳碑

ザビエル公園に建つザビエル頌徳碑。

堂々たる碑である。左側には上陸年代が刻まれている。ザビエルは戦国大名島津貴久に謁見しキリスト教布教の許可を得た。

ザビエル像

ザビエル像

ザビエルを中央に、左 薩摩人のヤジロウ(アンジロー)、右はベルナルド、同じく薩摩出身。

西郷隆盛生誕地碑

西郷隆盛生誕地碑

鹿児島市加治屋町の一角に西郷隆盛生誕地碑(写真中央奥)が建つ、1827年12月7日、下級士族の家に生まれた。

西郷隆盛生誕地碑

西郷隆盛生誕地碑

通称吉之助、南州と号した。日本で一番愛された男とも呼ばれる。

正真正銘の英雄だ。

維新ふるさと館

維新ふるさと館

西郷隆盛生誕地の近くにある維新ふるさと館。幕末ファンには興味津々のスポット。薩摩英雄が人形で登場する。

大久保利通像

大久保利通像

西郷と同じ郷中で育ち共に薩摩藩の指導者として国事に奔走した大久保利通(1830~78)。新政府樹立後は枢要の地位を歴任した。

ドイツを新生日本のモデルにした東洋のビスマルク。

薩摩街道歩きコース

  コース ハイライト・見所
1 鹿児島市内散策 石橋記念公園など
2 西田橋~伊集院 西田橋(石橋記念公園)
3 川内~出水 出水麓武家屋敷群
4 米ノ津~佐敷 境橋、佐敷城跡
5 川尻~熊本城 熊本城
6 熊本市街の散策 水前寺公園、熊本大学
7 田原坂越え 田原坂