琉球・歴史の道 五日目の街道歩き旅 [浦添市当山~仲間編]

浦添市当山~仲間

琉球・歴史の道 浦添市当山~仲間の地図 浦添市牧港

浦添市牧港

一泊お世話になった「ドミトリー・マチナト」。マチナトは牧港のこと。ここから約2km南下して当山を目指したが、案の定道に迷う。

当山公民館

当山公民館

4~5回、道を尋ねてようやく当山[とうやま]2丁目にたどり着く。ミラーの下に石畳の案内がある。

石畳道の北口

石畳道の北口

右奥に「当山の石畳道」という木柱が建つ。

急坂

急坂

馬が転ぶほどの急坂で「馬ドゥケーラシ」と呼ばれた。

坂道

坂道

この道は首里城と宜野湾番所(地方の役所)を結ぶ。

街道碑

街道碑

右に「普天間街道」とある。

当山橋

当山橋

橋は大正時代に改築された。そして沖縄戦で大きな被害がなかったのが幸運だった。

石橋(西面)

石橋(西面)

牧港川をまたぐ美しい石橋だ。アーチ型の石組み。

石橋(東面)

石橋(東面)

この辺りは幕末の琉球王朝をバックにしたNHKドラマ「テンペスト」(2011)のロケ地でもある。

登り坂

登り坂

道幅は広く4.5m。

参詣道の石畳

参詣道の石畳

国王が普天満宮(沖縄八社の一つ)に参詣した道である。

急坂をふり返る

急坂をふり返る

長さ約200mの石畳。心が躍るひと時であった。

石碑

石碑

「当山の石畳道」とある。

浦添ようどれ

浦添ようどれ

道なりに南進すると豪壮な王の陵墓が眼前に迫る。「ようどれ」は穏やかなることの意で、転じて「高貴な人の墓」。

暗しん御門

暗しん御門

くらしんうじょう。

トンネル状の通路(天井は沖縄戦で崩落)を通って陵墓に向かう。

中御門

中御門

陵墓に通じる石造りの門。

墓陵

墓陵

崖下にある「浦添ようどれ」。別名、極楽陵。

説明板

説明板

墓室は自然の崖を掘り造ったとのこと。

小高い山

小高い山

天然の要害で、大戦では日米の激戦地だった。左奥は、かつて貿易港として栄えた牧港であろうか。

浦添グスク跡

浦添グスク跡

浦添は首里に王都を移転(15C.初)する迄、王朝の都として繁栄した。

拝所

拝所

ディーグガマ(写真右奥)。

浦添城の前の碑

浦添城の前の碑

尚寧王が首里城と浦添グスクを結ぶ道を整備した際の記念碑である。

石碑

石碑

前述の記念碑。

石畳の坂道

石畳の坂道

修復された石畳。中央奥に浦添幼稚園(赤い円錐型の屋根)が見える。

石畳をふり返る

石畳をふり返る

中央奥が浦添城跡。

「歴史の道」指標

「歴史の道」指標

首里と浦添を結ぶ中頭方西海道[なかがみほうせいかいどう]。

コース

  コース ハイライト・見所
琉球・歴史の道
1 宜野湾市野嵩~中城村 野嵩石畳道、中城城跡
2 うるま市勝連、読谷村座喜味 勝連城跡、座喜味城跡
3 うるま市石川~仲泊 歴史の道(国頭方西海道)
4 恩納村山田~喜名 歴史の道(国頭方西海道)
5 浦添市当山~仲間 当山の石畳道、当山橋、浦添ようどれ
6 浦添市仲間~那覇市末吉宮 安波茶橋、末吉宮参道
7 首里城公園の散策 園比屋御嶽石門、首里城正殿、正殿二階
8 首里金城町~識名園 玉陵、金城の石畳道、識名園
9 南城市海野~知念 斎場御嶽、知念城跡
10 南城市知念~玉城 仲村渠樋川、垣花樋川
11 南城市玉城地区の散策 玉城城跡、糸数城跡、富里の石畳道
12 那覇市西部の散策 福州園、、外人墓地、波之上宮
13 琉球村の散策 道ジュネー、琉球古民家