高野山参詣道・町石道 街道歩き旅
103町石まで
九度山の丹生橋
ここ九度山は、戦乱の世を生きた名将・真田信繁(幸村)が父と共に閑居した地。彼は、その後大坂冬の陣、夏の陣で活躍した。丹生橋[写真中央]を渡り約600m進むと慈尊院に着く。真田庵も至近距離にある。
古寺・慈尊院
弘法大師が高野山を開く際に、山麗の政所として建てた古寺・慈尊院。
すこしでもわが子の近くにいたいとの思いから、開山以来、空海の実母玉依[たまより]が住んでいた。
石碑
慈尊院の北側に建つ石碑。
「女人高野」と刻まれている。
慈尊院・多宝塔
慈尊院・多宝塔[写真右]の横の石段を登っていく。
丹生官省符神社の鳥居[写真中央]が見える。
丹生官省符神社
官省符とは官省符荘のことで、太政官と民部官から租税を納めなくていい特権などを得た。
説明板
苔むした屋根付きの説明板。
最初の町石
慈尊院の境内から丹生官省符神社に登る石段の途中に最初の町石(180町石)が建つ。
ここから町石道がスタート。
勝利寺
右手に高野山より開基が古いと言われる勝利寺がある。
境内には手漉き和紙の資料館「紙遊苑」がある。
町石
177町石付近の風景。
道中の風景
176~173里石のいずれかは不明。
町石
172町石付近の風景。
169町石周辺
相賀[おうが]荘の荘官である坂上時澄、宗澄が施主として名を連ねる169町石。
ここから急坂となる。
163町石周辺
雨引山の中腹に建つ163町石。文永8年(1271)と彫られている。ここは町石道おすすめのビューポイント!
紀ノ川は勿論、和泉山脈、金剛・葛城の山々のパノラマ展望をエンジョイできる。
新旧の154町石
新旧の154町石が並ぶ。
雨乞いの神・善女龍王を山頂に祭る雨引山[写真右上、標高477m]の登山道との分岐点。
144町石と一里石
笠取峠を越えると144町石と一里石が並んで建つ。
六本杉峠前の分岐
六本杉峠[写真中央]の手前。
ここを左折する。
六本杉峠
六本杉峠(天野峠)のミニパーク。
六本だけでなく、かつて見事な多杉の並木が続いていたらしい。
丹生都比売神社
丹生都比売[にうつひめ]神社。
弘法大師が開山した際に道案内をしたのがこの神様といわれる。
天照大神の妹君とされる。
朱塗りの太鼓橋
朱塗りの太鼓橋は、この神社のシンボル。
大阪・住吉大社の橋と同じ工法で造られている。
120町石付近
120町石付近の三叉路。
ここを左折[写真中央奥へ]する。
二ツ鳥居
120町石の傍にある二ツ鳥居。
丹生大神と高野大神の二神を祭り、東向きに2基並んで建っている。
地蔵堂
112~111町石の中間に地蔵堂があり、弘法大師・子安地蔵・応其[おうご]上人が祭られている。
この付近一帯は、紀伊高原ゴルフ場である。
103町石から27町石まで
100町石
地蔵堂から1.5㎞先に建つ100町石。
道中の風景
86町石と思われる町石周辺の風景。
笠木峠
町石道のほぼ中間点にあたるのが笠木峠。
86~85町石の間にある。
三里石と72町石
三里石[写真左]と72町石[写真右]。
矢立茶屋
60町石付近に名物「やきもち」を売る矢立茶屋がある。
高野山道路(旧有料道路)を横断し、坂道[写真中央奥]を登っていく。
六地蔵
59町石の傍で整列している六地蔵。
押揚石
54町石の先にある、押揚[おしあげ]石。
空海の伝説で、火の雨の中に大竜が現れ一歩も進めなくなった母をこの巨石を押し上げて護ったという。
道中の風景
杉の大木。
34町石と思われる町石周辺の風景。
33町石
33町石付近の町石道。
ゴールの大門まで約2.5㎞。
高野山道路
日本の道100選にも選ばれている高野山道路。
大門まで
大門
高野山の西端に位置する大門。
ここが町石道の終点である。一山の総門で、左右に金剛力士像が「仁王立ち」して睨みを利かす。
ここからの眺めもよい。
阿形像
京都の仏師・康意作の「阿形像」(大門右側の金剛力士像)
根本大塔
鮮やかな朱色がひときわ目を惹く根本大塔。
金堂[写真右]は開山時、講堂と呼ばれた。
一山の総本堂として重要な役割を果たしてきた。
金剛峯寺
真言宗の総本山・金剛峯寺。高野山は聖地であり、配流地でもあった。
関白・豊臣秀次も秀吉に追われ、ここで自刃させられている。
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