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西国街道/さいごくかいどう
西国街道とは全長47q、ほぼR171号に相当し、これと並走、離合する。 西国街道の意義山崎狭隘部山崎付近は3本の川(桂川・宇治川・木津川)と天王山の裾野により、古代から道筋はほとんど変わっていない。 現在もJR・新幹線・名神高速など主要交通路が集中している。 天下取りへの道歴史的には、羽柴(豊臣)秀吉の中国からの大返し(1582年)が圧巻である。 主君・織田信長の死(本能寺の変)を知るや、彼は急遽毛利方と和睦。 秀吉軍はフルスピードで、この街道を駆け抜け、明智光秀と雌雄を決すべく、乾坤一擲【けんこんいってき】の戦いを山崎・天王山で展開した(山崎の戦い)。
西国街道の歴史平安京中央を南北に走る朱雀【すざく】大路の南端、羅城門から、ほぼ南西に進み途中に山崎(大山崎町)、芥川(高槻市)、郡山(茨城市)、瀬川(箕面市)、昆陽【こや】(伊丹市)の宿場があり、最後の西宮で山陽道に合流する。 江戸時代京都からの最初の宿場名により、「山崎街道」といい、京・山崎と西宮を結ぶ脇往還として、西国大名の参勤交代路や旅人に多く利用され、淀川とともに重要な交通路であった。 往来した歴史上の人物菅原道真(大宰府に左遷され西国へ) 楠木正成(桜井の別離から湊川へ) 能因法師・浅野内匠頭・三条実美ら七卿都落ち(1863京都から長州へ)
コースガイド
コースのポイントには、街道碑が立てられている。また案内板や道標も多いので、それほど迷わずに歩ける。 アドバイス上大市の街道で目印がないところがあるので、そこだけ注意が必要。 街道がなくなってしまっている部分があるので、迂回路をとる形になる。 計画帰りのことも考えて、中間地点を駅に近い場所にする。 周辺情報
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