下野街道 七日目の街道歩き旅 [会津若松・飯盛山通り周辺編]

会津若松・飯盛山通り周辺

下野街道 会津若松・飯盛山通り周辺の地図
白虎隊士の像

白虎隊士の像

会津若松といえば、やはり白虎隊が有名だ。2004年3月にリニューアルした会津若松駅前には隊士の像が建つ。このコースは下野街道の道筋ではないが、駅から東へ約2kmの飯盛山方面に向かう。

旧滝沢本陣

旧滝沢本陣

白虎通りが飯盛山通りにぶつかる所から、少し北へ進むと旧滝沢本陣(写真中央)が見えてくる。

旧滝沢本陣

旧滝沢本陣

この滝沢本陣は藩主が参勤交代時に使用した所。

戊辰戦争時には藩主松平容保[かたもり]が督戦のため、ここに入った。藩主を擁護していた白虎隊はここから出陣したのである。

旧滝沢峠指標

旧滝沢峠指標

旧本陣から東へ少し進むと旧滝沢峠の指標が建つ。

この道は白河街道と呼ばれる。

石畳の道

石畳の道

この石畳の道を白虎隊士は駆け抜けた。

敵を戸ノ口原で迎撃するため滝沢峠に向かった。

石畳の道

石畳の道

延べ8万人の労力で石畳道に改修された(1632~34)。

以来、参勤交代や旅人の往来などに利用され大変賑わった街道になったという。

滝沢峠

滝沢峠

ここが滝沢峠。

頂上には会津藩士18人の墓が残る。

旧滝沢峠説明板

旧滝沢峠説明板

旧滝沢峠説明板。

滝沢峠は会津藩主だった蒲生氏郷が白河裏街道として開かれたという。

白虎隊士自刃地碑

白虎隊士自刃地碑

飯盛山の中腹には白虎隊士自刃の地碑と白虎隊士像(写真左)が建つ。城下を見つめる隊士が痛ましい。

無念の極みだったろう。今も涙を誘われる。

白虎隊士自刃の地

白虎隊士自刃の地

壮烈な自刃を遂げた白虎隊士19人がここに眠る。

墓前には今も香華が絶えない。

松平容保の歌碑

松平容保の歌碑

悲運の藩主松平容保の歌碑が建つ。

幾人の涙は石にそそぐともその名は世々に朽ちじとぞ思う

モニュメント

モニュメント

近くには鷲を頂いたモニュメントが建つ。これは白虎隊の史話に感動したムッソリーニ首相(イタリア)が贈った(1928)もの。大きな柱はポンペイの遺跡から掘り出したもの。

旧正宗三匝堂

旧正宗三匝堂

旧正宗三匝[さんそう]堂(別名、さざえ堂)。らせん階段が内部を貫く独特な構造で世界的にも類のない構造。国の重要文化財。

白虎隊記念館

白虎隊記念館

白虎隊記念館。

傍らに酒井峰治の像が建つ。仲間とはぐれ鶴ヶ城に入る途中、山小屋付近で愛犬クマと涙の対面。

クマはクンクンないて飛びついたという。

白虎隊銅像

白虎隊銅像

同じく白虎隊記念館前の銅像。

今の高校1年生くらいの年令で散ってしまった隊士たち・・・ただただ痛ましい。

愛宕神社

愛宕神社

前述の白虎隊記念館から南へ1.5kmの所に愛宕神社が鎮座する。

観光客もやって来ない静寂の地だが、見逃せない胸像が建つ(写真右)。

松平容保像

松平容保像

会津藩最後の(9代目)藩主の松平容保(1835~93)。

京都守護職だった頃の像であろうか。清廉潔白な至誠の人。全幅の信頼をうけた孝明天皇(1831~66)の崩御と共に容保と会津藩の悲劇が始まったのだった。

近藤勇の墓

近藤勇の墓

前述の愛宕神社から南へ200mほど進むと天寧寺の裏山に出る。

そこには新撰組局長近藤勇の墓がある。

関山宿

近藤勇の墓

中央が近藤の墓(享年34才)。右は、この墓を建てた土方歳三(1835~69)の戒名が書かれた慰霊塔。

会津士魂碑

会津士魂碑

墓地の中には会津士魂碑が建つ。早乙女貢(1926~2008)の大作名。氏は旧満州のハルビン生まれで会津藩士の4代目にあたる。真の維新史を大河小説の形式で追求した会津士魂で吉川英治文学賞を受賞した(1988)。