中山道 二日目の街道歩き旅 [摺針峠~今須~呂久編]

摺針峠~番場宿

中山道 摺針峠~番場宿の地図
摺(磨)針峠の石碑

摺(磨)針峠の石碑

碑(写真右)には明治天皇、弘法大師の名も刻まれ、小さな字で「東へ山道800m」とある。

望湖堂跡

望湖堂跡

ここは琵琶湖の絶景を望むベストスポットだった。左に「明治天皇摺針峠小休所」碑が建つ。

古刹・蓮華寺

古刹・蓮華寺

後醍醐天皇方に敗れた六波羅探題の北条仲時一行は京都から鎌倉を目指して逃亡したが、行く手を南朝方勢力に阻まれこの地で452人全員が集団自決した(1333)。

番場の道標

番場の道標

前述の蓮華寺の案内板の隣には「米原汽船汽車道」の道標が建つ。米原[まいばら]は西へ約2kmの距離。

番場の忠太郎

番場の忠太郎

番場は、長谷川伸の戯曲「瞼[まぶた]の母」の主人公忠太郎の出身地として知られる。よく映画化された(1962.萬屋錦之介)。

醒井宿

中山道 醒井宿の地図
茶屋道館

茶屋道館

番場と醒井の中間点あたりに設けられた粋な休憩所。

醒井宿

醒井宿

醒井[さめがい]の西端に残る史跡、六軒茶屋。

西行水

西行水

古来より、この醒ヶ井には豊富な湧水が出る場所がいくつも存在している。ここは西行法師ゆかりの西行水。

地蔵川

地蔵川

醒井宿の南側を流れる清流。心が洗われるような景観だ。

醒井宿の名家

醒井宿の名家

江竜家(写真左)は庄屋、問屋を勤めた名家で明治天皇行幸の際、小休所となった所。

柏原宿

中山道 柏原宿の地図
松並木

松並木

柏原宿の西はずれに残る松並木。

柏原一里塚

柏原一里塚

復元された一里塚。

柏原宿の町並み

柏原宿の町並み

近江(滋賀県)中山道最後の宿場で昔ながらの風情ある建物が残る。中央に柏原宿歴史館がある

伊吹もぐさ本舗

伊吹もぐさ本舗

この辺りは、古くから薬草の産地で良質のヨモギから作った「もぐさ」は街道の名物だった。7月には「やいと(お灸)祭」が催される。

柏原の町並み

柏原の町並み

左奥(手前2台目の車)に本陣跡、隣りが東の庄屋。右の説明板の奥は吉村公三郎(昭和初期の映画監督)の実家でもと庄屋。

寝物語の里

寝物語の里

旧、山東町(現、米原市)長久寺の景観。

県境

県境

中央の溝より西が近江(滋賀県)、東は美濃(岐阜県)。かつては溝一つ、つまり国境を隔てて旅籠があり隣と寝ながら話ができたという。

芭蕉句碑

芭蕉句碑

「正月も美濃と近江や閏月」

今須宿~関ヶ原宿

中山道 今須宿~関ヶ原宿の地図
今須宿本陣付近

今須宿本陣付近

中央に常夜灯が建つ。

今須一里塚

今須一里塚

復元された一里塚。

今須峠

今須峠

当時は急坂の難所だった。今は直下をJR東海道本線が通る。

不破関跡

不破関跡

奈良時代には東海道(中山道の前身)の重要な関所で古代三関の一つ。他には鈴鹿、愛発[あらち]。

垂井宿

中山道 垂井宿の地図
野上の松並木

野上の松並木

岐阜県内中山道で唯一残る松並木として貴重。左奥には桃配山がある。壬申の乱(672)や徳川家康の最初陣地(1600関ヶ原合戦)の史跡。

長者屋敷

長者屋敷

右は野上長者屋敷跡。この辺りは東山道の宿駅で遊女が多くいたという。

垂井一里塚

垂井一里塚

南側の塚がほぼ完全な形で現存する。

赤坂宿

中山道 赤坂宿の地図
赤坂宿脇本陣跡

赤坂宿脇本陣跡

和宮降嫁の折、赤坂宿は街道沿いの約3割が家を改修したという。「嫁入り普請」といわれた。

矢橋家住宅

矢橋家住宅

国有形文化財建造物。

谷汲街道の道標

谷汲街道の道標

「左、たにくみ道」谷汲山華厳寺は西国33ヵ所巡礼の結願の札所。

本陣公園

本陣公園

左奥の像は地元出身の勤王の志士、所郁太郎(1838~65)。酒造業(矢橋家)の四男。

赤坂港跡

赤坂港跡

杭瀬川の舟運で栄えた赤坂港跡。右端の赤坂港会館の外観は典型的な明治初期の洋風建築。中央の常夜灯は1908年建で灯台を兼ねる。左端は火の見櫓。

呂久の渡し

中山道 呂久の渡しの地図
呂久の渡し

呂久の渡し

昔の揖斐川は現在より西を流れており、この公園はかつての渡し場。

小簾紅園

小簾紅園

おずこうえん。和宮の歌碑が建つ。「おちていく身と知りながら、もみじ葉の人なつかしく、こがれこそすれ」

馬淵家

馬淵家

前述のモミジは船頭頭[がしら]を勤めたこの馬淵家のモミジのことで、和宮は紅葉しているモミジに感動したという。右には明治天皇小休所碑が建つ。