白山禅定道/はくさんぜんじょうどう

白山禅定道のルート

白山禅定道のルート

(平泉寺白山神社)-三頭山-報恩寺山-小原峠-市ノ瀬-白山

白山禅定道の意義

白山への登拝道

信仰の山白山(2,702m)は富士山、立山と共に日本3名山の一つ。

その信仰の歴史は奈良時代、泰澄が登頂(717)したことに始まるようだ。

山頂への参詣道として加賀・越前・美濃の3方面からの禅定道が開かれている。禅定とは高山に登り修験道の行者がする修行のこと。

これらの禅定道には、今にも多くの旧跡が残り「歴史の道」にセレクトされている。

越前の名刹・平泉寺

越前側の登拝口に開かれた山岳寺院である。

最盛期には6,000の坊院(僧侶の住居)、僧兵(武装山伏集団)8,000人を擁する強大な宗教勢力を誇った。しかし、一向一揆との戦いに敗れ(1574)、全山焼失。その後、明治初年(1868)の神仏分離令により平泉寺が廃止され白山神社となった。

白山禅定道の歴史

悲運の英雄 源義経伝説の道

軍事の天才、政治手腕を兼備せず。多くの輝かしい武勲を立てながら、異母兄源頼朝と不和。頼朝の追及厳しく、再び奥州平泉へ落ち延びていく。逃避行はドラマチックであり、愛妾・静御前との悲恋も重ね、ペーソスにあふれる。義経記によれば、そのルートは 吉野-京-逢坂峠-大津-琵琶湖を北上-海津大崎-愛発[あらち]山-敦賀-木ノ芽峠-越前国府(武生[たけふ])-平泉寺-金津、安宅の関(以下省略)

源義経の平泉寺詣で(1186)

逃避行のルートが北陸路を辿ったのに、平泉寺へは大きくそれることになる。これは一体どういうわけか、いささか興味をそそられる。

平泉寺へ立ち寄ったのは義経の希望だったという。

なお平泉寺は比叡山の末寺で、同行の武蔵坊弁慶も延暦寺で修行したこともある。また奥州の藤原秀衡は白山権現の強烈な信者だったという。このような経緯から義経は平泉寺に何らかの協力を求めたのであろう。

今回の歩き旅

平泉寺白山神社の参詣、白山禅定道に約15kmと少々離れてはいるが、曹洞宗大本山・永平寺の参詣を加えた。今回はひたすら信仰の道、六根清浄に徹する旅である。

白山禅定道歩き旅アドバイス

平泉寺へはJR福井駅から、越前電鉄で平泉寺口まで22分、更に勝山まで約30分。この勝山駅から南東へ約5kmの所に平泉寺がある。

永平寺は、永平寺口から京福バスで12分ほど、本数は割合多い。

白山禅定道歩きコースプラン

コース

  コース プラン
1 白山神社石畳参道~禅定道 白山禅定道、白山神社
2 永平寺参詣 永平寺